16.ペンよりなぐり

受験勉強に励むべき浪人中の一年、その立場ゆえ観劇こそ控えましたが、ますます演劇への興味が深まりました。

その一方でまだ、弁護士を目指したい気持ちもありました(いまでは信じられない!)。

第一志望は逃したものの、最終的に、某大法学部の法職課程と、某大演劇学専攻のいずれかを選ぶことになります。

法律と演劇、当時の私にとってはどちらも同じくらい魅力的でした。家族にとっては迷う余地なく、法律の道が望ましかったことでしょう。

ですが、高校受験のときに苦い体験をしています。親や家族に喜んでほしいものの、自分が納得せずに進めば、きっとまた後悔するでしょう。

演劇は、世間知らずだった私の視野を、一気に広げてくれました。世界は果てしなく広く、様々な人々と共に生きるなかで、自分を客観視させてくれたのです。私にとって、これは一生の宝物になりました。

そして、自分が興味を持つことには、自分の長所を活かせるヒントがあることにも気付いていました。

そんななかで私は、高3の担任も勧めてくれたバンカラな明治大学の文学部演劇学専修を選びました。素敵な扉を自分で開けた、あの明るい気持ちは、いまでも忘れられません。

文学としての演劇学ですから、授業に実践はありませんでしたが、自分が最も興味のあるものを学びに大学に行けることが楽しみだったうえ、キャンパスは都心、ほんとうに背中に羽が生えた気分で春を迎えました🌸


入学後、オリエンテーションのあと、教室に様々な学内サークルが入れ替わり立ち替わり、勧誘にやってきました。

その中に、いまや日本を代表する俳優で演出家の河原雅彦さんがいました。大音量で音楽をかけながらパフォーマンスをし、最後は女優さんとの濃厚なキスシーンを新入生たちに見せつけ🤣、嵐のように去っていったのをいまだに覚えています(笑)。

クラスメイトのほとんどは、演劇学を専攻していてもお芝居をやっていませんでしたが、私は実践にも、いえ、実践にこそ力を入れました。

…と言うと聞こえが良いですが、授業そっちのけで稽古に明け暮れ、優秀なご学友の皆様のノートと優しさに、ずいぶんと救われたものです(苦笑)。

ちなみに、数少ない実践派のクラスメイトに、ジョビジョバの長谷川朝晴くんと石倉力くんがいました。ジョビジョバは、旗揚げ公演からすでにかなりの完成度で、当時から群を抜いていました。


ある日、印象的なことがありました。

演出論の授業で、教授の問いに対し、ある学生が意見を述べました。

実際には芝居をやっていないその学生が、演出論を展開するのを聞き、「机上の空論」の意味を実感しました。

表現をしたい生身の人間たちが寄り集まって、今、リアルタイムで目の前で、世界をゼロから創り上げていく難しさとスリルの真っ只中にいた私は、

「それで、あなたはそれを、やってみたんですか?」

という言葉を飲み込み、授業が終わったあと、教授に、あれは実践を知らない人の言葉に過ぎないのでは、と話に行きました。

すると教授は苦笑いして賛同し、ぜひ演劇の実践を続けるようにと励ましてくれたのです。おかげでとてもすっきりとし、ますますペンよりもなぐりを手にして、積極的に現場を体験するようになりました(笑)。

そしてその頃、もうひとつ忘れがたいことがありました。ブレヒトとの出会いです。

Bertolt Brecht

ブレヒト演劇についてはそれこそ机上でしか知りませんでした。付き合いで観に行くことになった、ある学生演劇の公演で、私はブレヒトの世界を初めて体験することになりました。

ところが残念なことに、それは私にとっては驚くほどつまらなかったのです!(苦笑)

私にとっては、陰鬱で黴臭くも感じた舞台に、ブレヒトの魅力を少しも見出すことはできませんでした。そんなブレヒトとは、私はおそらくこの先も縁はないだろうとまで思ってしまったのです(苦笑)。

この「私にとっては」という断り書きは重要です。誰かが生み出したクリエイティブな表現や芸術の良し悪しを、自分ごときがジャッジするのは控えたいからです。ちなみに、このとき一緒に観に行った仲間たちもみんな、同じ意見でうなだれてはいましたが…😅

ブレヒトとの実に残念な出会いのせいで、その後長らくのあいだ、私はブレヒト演劇に興味を持つことなく過ごします。ですが、ここから20年後、思いがけずその続きが始まるのでした。


大学受験で第一志望を逃したのはとても残念でしたが、神様(無宗教ですが)は、私に最も必要な経験ができる環境へと導いてくれたのだと思っています。

それはいまでも常に感じることです。自分が「これぞベスト!」と思ったものは、所詮、物質界で狭い視野のもとに生きる人間が思いつく程度のもので、実は私たちには思いもつかないような、さらに素晴らしい選択肢や道があることを、神様(のようななにか)は知っているのだろうと思います。

ですので、自分が望んだ選択肢や道ではないほうへと流れが向かっていたら、ぜひそちらを受け入れて、流れに身をまかせてみてください。

そこにはきっと、自分では想像できなかった素晴らしいことが待っているはずです😉

まもなく、心も暖かくなるような春がすべての人々に訪れますように、心より祈っています。

物語はこのあともつづきます。

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“16.ペンよりなぐり”. への3件のフィードバック

  1. みわぞうさんこんにちは。
    くいいるように読ませていただいております。
    ブレヒト(作品)についてつねに考えていることがあり、それは演劇/音楽/エンタテイメントの場でブレヒトを演る、受容するということについて、です。もう40年になろうという出来損ないの独文科生のまま、未だ解決しては見出されません。
    ただ、それでいいのかな、ともおもいます。
    劇的感動・音楽的悦びを、感じてしまっていいのか、オープンエンドに問題を投げかけられるでもなく、でも考えなきゃ!この皮肉は小気味いい、でももっと解釈すべきか?この変拍子・転調移調はカッケー!ノれる‼︎でももっと詩をかんがえなければいけない⁈というような”強迫”。そもそも、ブレヒトを演る/観るとはどういうことなのか…
    残念ながら、教室や商業的なエンタテイメントの場で行われるものは”残念ながら”なものがおおいです。が、こぐれさん大熊さん、須山公美子さん、らぶひるたぁさん、大田美佐子先生方には感じるものがあります。永遠にわからないかもしれないので、感じるしかない、と。みなさんには、そうおもう元、があって、誘われるのだとおもいます。
    いまの、このブレヒトをとりまく世の中を、岩淵先生にみていただきたいですよね。なんておっしゃるか。
    ジンタら/シカラムータさん、須山さん、蜂鳥あみ太さん蜂鳥スグルさんは、とくにみていただきたいとおもいます!

    (長々ご無礼しました また ライブたのしみにしております)

    いいね: 1人

    1. 熱いメッセージをありがとうございます!
      私たちの表現に感じるものがあるというお言葉、とても励みになります。
      私はブレヒトを演ることについては頭で考える間もなく、突き動かされるように表現をしています。
      突き動かされるので、手加減ができないのですが、その一方で、自分たちの表現を俯瞰して客観視もしています。
      ブレヒトを演るうえで私が最も避けるべきと思っているのは、ブレヒトの世界で自己表現をすることです。
      あくまでも自分はブレヒトの容れ物として機能すべきだと常に思いながら歌っています。
      またぜひライブにおでかけくださいませ!

      いいね

  2. みわぞうさんこんにちは。
    くいいるように読ませていただいております。
    ブレヒト(作品)についてつねに考えていることがあり、それは演劇/音楽/エンタテイメントの場でブレヒトを演る、受容するということについて、です。もう40年になろうという出来損ないの独文科生のまま、未だ解決は見出されません。
    ただ、それでいいのかな、ともおもいます。
    劇的感動・音楽的悦びを、感じてしまっていいのか、オープンエンドに問題を投げかけられるでもなく、でも考えなきゃ!この皮肉は小気味いい、でももっと解釈すべきか?この変拍子・転調移調はカッケー!ノれる‼︎でももっと詩をかんがえなければいけない⁈…そもそも、ブレヒトを演る/観るとはどういうことなのか…
    残念ながら、教室や商業的なエンタテイメントの場で行われるものは”残念”なものがおおいです。が、こぐれさん大熊さん、須山公美子さん、らぶひるたぁさん、大田美佐子先生方には感じるものがあります。永遠にわからないかもしれないので、感じるしかない、と。みなさんには、そうおもう元、があって、誘われるのだとおもいます。
    いまの、このブレヒトをとりまく世の中を、岩淵先生にみていただきたいですよね。なんておっしゃるか。
    ジンタら/シカラムータさん、須山さん、蜂鳥あみ太さん蜂鳥スグルさんは、とくにみていただきたいとおもいます!
    (長々ご無礼しました またライブたのしみにしております)

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Miwazow / こぐれみわぞう への返信 コメントをキャンセル