ほぼ一年ぶりに綴り始めています。たくさんの方々が楽しんでくださっていたようで、とても嬉しい気持ちでふたたびペンを執りました。
さて、2002年5月、フランスツアーからほんのひと息入れる間さえなく、私たちソウル・フラワー・モノノケ・サミットはバリ経由で東ティモールに辿り着きました。

国が独立するその瞬間に立ち会えるなんて、一生のうちになかなか経験できることではありません。しかも、その喜ばしい場で、音楽家として演奏でお祝いできるという、願っても得られないほどの機会に恵まれました。
https://breast.co.jp/archive/kiroku/log/timor/index.html
こんなにも素晴らしい経験を与えてくれたのは、当時まだ大学生だった広田奈津子さんでした。広田さんはその後、さらに東ティモールと交流を深め、映画「カンタ・ティモール」を生み出した人です。
映画では、東ティモールの人々が、いかに残酷な状況におかれようとも、美しく生きた姿が描かれています。私は、東ティモールを、魂の先進国だと感じました。私たち人類のあるべき姿を描いた、平和への祈りに満ちた名作を、ぜひ皆様にもどこかでご覧頂きたいものです。
さて、独立記念式典での演奏を翌日に控え、私はフランスからの時差ぼけと疲労のなか、興奮状態にもありました。
からだは疲れていても、意識は覚醒し、あらゆる感覚が研ぎ澄まされているのを感じながら、いざからだを休ませようとしたときのことです。
寝室の真っ白な壁に突如、様々な人々の顔が浮かび上がってきました。まるでスライドショーのようにひとりずつ、次々にテンポよく現れ続けます。美しい瞳、褐色の肌、それはおそらく、東ティモールの人々でした。その誰もが見ず知らずの人々でしたが、全員が、まぶしいほどの笑顔を私に見せてくれたのです。
東ティモールは、長らく無数の犠牲を払い、その果てに独立を勝ち得ました。国内の至るところにその痕跡が残されたなか、多くの人々が沈む湖にも行きました。残虐性に満ちた歴史の舞台を前に、悼む気持ちがあふれてきましたが、なぜか不思議なことに恐怖を感じませんでした。
実はこの謎はのちに、広田奈津子監督の映画「カンタ・ティモール」を観て、明快に解けることになります。
独立を喜び、これから先の平和を願うかのように白い壁に現れた彼らは、まるで私にあいさつをするかのように、美しい笑顔を次々に見せてくれました。私はなぜこれを視覚としてキャッチできたのかはわかりません。単なる疲労が起こした脳のバグによる幻視と言えるでしょうが、スピリチュアルな体験とも言えるものでした。現実でなかろうと、幻であろうと、それは私に確かに起きたことでした。
次々にあいさつをしてくれる見ず知らずの東ティモールの人々が、私は愛おしくてたまらなくなりました。と同時に、会ったこともない、存在していることさえ知らない世界中の人々も、たまらなく愛おしく感じられました。
時も空間も超えて、すべての命は、ひとつの例外もなく共に生きているのだと、強く確信しました。私は、とてつもなく大切なことを東ティモールの地で知り、翌日の祝祭に臨みました。
この強烈な体験は、それ以降の私の音楽活動の大きな原動力となっていきます。さらにはここからちょうど10年後、東日本大震災を経て、歌を歌うことを決意させる力ともなります。
そのお話はまたあらためて…。
物語はつづいていきます。更新が滞っていた一年の間も、素晴らしい物語の中で生かして頂いていました。物語はなにも派手である必要はありませんし、目立ったできごとなどなくても、日々ご自分の心がさまざまに揺れ動いて、愛を感じたり、喜びを味わったり、気付きを得たりすること自体がドラマだと思います。
皆さんのきょうが、少しでも楽しく、美しい日に、願わくば存分に素晴らしい日になりますように。
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