1995年6月中旬、「マインド・キング」の終演後すぐ、巻上さんがトゥバ共和国へ行ったことを覚えています。
今ではホーメイや口琴の国としてずいぶんとよく知られていますが、確か巻上さんにとって、このときがトゥバ初訪問。私にとっては、トゥバという国をはじめて知ったときでした。
当時、はるばるトゥバからFAXが届いた瞬間、これから先、トゥバはとても重要なキーワードになると予感しました。その後の展開はご存知のとおり。この頃の私の第六感は、すこぶる冴えていました。
8月には、田中泯さんと木幡和枝さんが中心となり運営していた「アートキャンプ白州」に、巻上さんが「超歌謡セッション」で出演されるとのことで、私はスタッフとして初めて訪れました。
最寄りの駅から交通の便が良いわけでもなく、宿泊は限られた民宿をアナログな方法で予約するしかない、コンビニなどは当然なく、昔ながらの商店が数軒ある程度、会場及び周辺はとても広く、そこかしこはむき出しの地面で、雨が降れば足元はぐちゃぐちゃ。
夜になると辺りには真っ暗なとばりが落ち、ひときわ黒い山のシルエットに畏怖の念を覚えるような、自然の真っ只中。アートキャンプ白州は開催されていました。
神社の境内や栗林、ときには畑や田んぼの一角で、田中泯さんのダンスや、国内外の様々な表現者たちによる、まさに名付けようのない様々な表現にふれました。まるで、地中の奥から何かが噴き上がってくるような、とてつもないエネルギーに満ちた場でした。

白州において素晴らしかったことのひとつは、表現者、スタッフ、観客のあいだに垣根がなく、共に酌み交わしながら、言葉を交わし合えたことです。誰かの表現について熱い議論が巻き起こることも少なくありませんでした。
クリエイティブなことですから正解はありませんが、そうした様々な人々の、様々な見解にふれながら、私も、一本の木から仏様を彫り出すかのように、表現の真髄の輪郭を少しずつ見極めることができたように思います。
初めての白州は、実に見応え聞き応えのあるものばかりでしたが、最も感動したものがあります。
それは、土にまみれてはだしで踊る泯さんの、足の裏側の美しさでした。足の裏に、うっとりとするほどの美しさを感じたのは、初めてのことでした。
大地に最もふれているのが足の裏であり、大地と親密に対話しているのが足の裏であり、もしかしたら足の裏は、天へと向け太陽と対話する「顔」と、同じ役割を持っているのでは、と深く感動したのです。
他にも書ききれないほど多くのことを、深く体感しました。
20代前半に、こうしてアートキャンプ白州を体感できたことは、その後表現の世界に生きる者にとって、宝のような経験でした。翌年以降も続けて白州に参加する機会を得たおかげで、「表現」の真髄、肝を学びとれたように思います。

※泯さんの足ではありません
この頃の私はまだ大学生で、表現者ではありませんでした。巻上さんやその他の素晴らしいアーティストの皆さんのお役に立てることが本当に嬉しく、存分に楽しんでいた若者でした。
翌春、大学を卒業したあとのプランは何もありませんでした。ですが当時はフリーター全盛期、なんとかなると思っていましたし、実際なんとかなった気楽な時代でした。私は、アーティストのマネジメントもやり甲斐のある素敵な仕事だと思いながら、秋から卒論に本腰を入れ始めました。
卒論のテーマは「イディッシュ演劇」。当時、インターネットが急速に普及し始めた時期、ネット上のコンテンツは今ほど充実しておらず、日本には関連資料が極めて乏しかった当時、巻上さんがNYから重い書籍を数冊買ってきてくださったり、大熊さんから粉川哲夫さんを紹介して頂いたり、関連書籍をお借りしたりと、お二方には多大なるお力添えを頂きました。おかげで無事に卒論を書き上げ、卒業できましたこと、あらためて感謝申し上げます!
大学を卒業した1996年の春、気付けば、私は一世代上の先輩がたばかりに囲まれ、音楽界の最も刺激的でおもしろい只中にいました。大熊さんの活動も手伝い始め、ほどなくマネジャーとしてサポートするようになりました。
音楽界の素晴らしいアーティストたちと次々にご縁が広がり、一年中音楽にまみれて過ごしました。そして1997年、更に大きな出会いに恵まれることになります。
物語は次に続きます。
皆様の日々の出会いも、そのどれもが素敵なものでありますように。
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