中学時代は深夜まで勉強をしていたので、夜更かしの習慣がついてしまいましたが、高校に入ってからの深夜は、有意義な自由時間となりました。
80年代後半のその時期は、ちょうどフジテレビの深夜放送が盛り上がり始めた頃で、実験的な番組が次々に放映され、どんどんおもしろくなっていきました。
「やっぱり猫が好き」、「IQエンジン」、「カノッサの屈辱」など、ほかにも挙げ始めたらキリがありません。深夜番組を支えていた俳優やスタッフの多くは、当時全盛期を迎えていた小劇場界の人々でした。
「ゴールデンタイムよりも深夜のほうが圧倒的におもしろい!」
メインストリームにのったものだけでなく、世の中にはおもしろいものが溢れていることを実感しました。サブカルチャー、なかでも小劇場はかなりおもしろそうだと知ったのです。
まだインターネットなどなかった当時、好奇心旺盛な千葉在住の女子高生は、「ぴあ」や「演劇ぶっく」などで熱心に情報を集め、各劇団の作家たちの書籍や、そこから派生して様々な本を読み漁りました。
あふれるパッションをもって能動的に芋づる式に「知る」行為を続けるうちに、小劇場の魅力を知ったばかりでなく、10代後半の視野もぐんぐん広がっていきました。
世界を知れば知るほど、世界の果てはさらに向こうへと、さらに奥へと広がっていったのです。私の好奇心は、未知の後ろ姿を追いかけ続けました。
ある日、家族で食卓を囲んでいた時のことです。
気難しいのがデフォルトの祖父の機嫌は、この日は比較的良く、家族はみんな安心して食事を楽しんでいました。
テレビが、ある国のニュースを流しました。
すると祖父が、「おじいちゃんは〇〇人は好きじゃないな」と言い出し、その国と人々について、勝手な意見を続けました。
祖父の不機嫌が家庭内にもたらす暗雲は、ほんとうに息苦しいものでしたから、家族はみんな、祖父の機嫌を損ねないよう、静かに聞いています。賛同する家族も、心地よく思わない家族もいたでしょうが、誰も何も言いません。
中学生までの私は、祖父の考えにまちがいはないと思っていました。反論するなどもってのほか、仮におかしいと思っても、いっときの我慢と思い、やりすごしたものです。
ですが、高校生になり、視野がうんと広がった私はこの日、祖父の意見はあきらかに偏っていると感じ、これまでのようにやり過ごすことはできませんでした。
「おじいちゃん…。〇〇(国名)のすべてが悪いはずはないと思うよ。日本にも良いところと悪いところがあるように、どの国にも良いところと悪いところがあると思うよ」
祖父も家族も驚きました。
「おじいちゃんが〇〇を嫌うなら、日本もどこかで同じように嫌われているかもしれないよ。それは悲しいことだし、いつもおじいちゃんがダメだって言ってる戦争につながっちゃうよ」
主旨としてはこんなことを物申したと覚えています。
祖父の機嫌が悪くなるのを最もおそれているのは母でした。ところが母の顔には、感心したかのような笑みが浮かんでいました。
「ほう!なるほど!」
孫の初めての物言いに、祖父が力強く答えました。遂に初めておじいちゃんに怒られるのだ、と思ったら、
「みわちゃんは、小さなときから『みんなとなかよく』って言われたのを、きちんと守ってるんだね。おじいちゃんは大切なことを忘れてた。おじいちゃんもまだまだだ!」
と笑ったのです。そして、
「いい子に育ってよかった!おじいちゃんは嬉しい!」
と、祖父はにこにこと孫を褒めたのでした。
家父長制のもと、封建的な家庭で育ち、古い考え方が染み込んでいた私は、高校生になってまもなく、「自ら知る」という行為で、世界の見つめ方を調え直すことができました。
まさに、「無知の知」をはっきりと自覚しながら生き始めた頃でした。いまもそれは続いています。
思い立ったらすぐに検索して情報を得られる現代は、なんと恵まれていることでしょう。知りたいことはすぐにわかります。
でも、知るという行為は、単に知識を得るだけでなく、見識を高めてこそと思います。世界をまっすぐバランスよく見つめて、ようやく「知る」が成就するように思うのです。
ちなみに高校時代、第三舞台や夢の遊民社など、観たいお芝居はたくさんありましたが、小劇場の公演を観に行くことは許されませんでした。
生の舞台を知ることだけはできずに、このあと大学受験の時期を迎えますが、演劇は私の人生を大きく牽引していくことになります。
小劇場との出会いは、私の人生の物語に重要な伏線が張られたときでした。
物語は次につづきます。
きょう、私たちそれぞれ、どんなことを知ることができるのでしょう。世界は知らないことばかりです!
皆さんの毎日が、喜びと楽しみを知る日々でありますように✨
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