きょうは、お勉強のできる優等生の話ですので、ちょっと鼻につくところがあるかもしれません…😅
中学時代、私にとって、勉強は遊びでした。
「知らない」が「知っている」、「解き方がわからない」が「解ける」、「理解できない」が「理解できる」にどんどん変わるのは、まるでゲームを攻略していくかのようでした。
さて、祖父の機嫌ひとつで家庭内の雰囲気が一変するというのは、24時間365日、家族はみんな気を遣って過ごさなければいけません。
気難しい祖父は、孫の私には甘かったものの、それでもなかなかのストレスでした。
加えて、わが子を守ろうとするがゆえの親の過保護、過干渉は、モノを知らなかった私をさまざまな危険から守ってくれたとはいえ、思春期の娘にとっては息苦しく、かなりつらいものでした。
ですが、ここで思い出して頂きましょう。
「私は自分でこの材木屋さんを、この家族を選んで、望んで生まれてきた」のです。
祖父をはじめとした家族を満足させ、一触即発感満点の家庭内を少しでも穏やかにすべく、当時の私は、家族が望む優等生、おりこうさんであり続けました。
封建的な祖父が仕切る家庭で育った私には、封建的な考え方が充分に染み込んでいたのですから、なにごとも祖父に従うのが当然でした。
高校受験を控え、希望校を決める時期になりました。
当時通っていた中学校の隣に、県内の最難関校がありました。実に魅力的な高校でしたが、中学時代と行動範囲が変わらなければ、さらに3年間、私は籠の中から出られず、耐えられないだろうと思いました。
そこで私は、第一志望を、その次の高校にしました。ここは、電車に乗らないと通学できないので、行動範囲が広がります。
当時はどこかに行く際、過保護ゆえにたいてい車で送迎してもらっていたため、電車にひとりで乗らざるを得ない=籠から少し出られる、ことだったのです。
もうそれだけでウキウキとしながら、第一志望校を目指して勉強を続けました。
ところがある日、塾の進学指導で、志望校を変えるよう助言されます。充分狙える成績にも関わらず、です。
塾から勧められたのは、別の進学校で伝統ある女子高。電車通学にはなるものの、私は完全にテンションが下がる一方で、家族は女子校なら安心と大喜びして、強く推してきました。
なかでも、祖父がその女子高を気に入ったことは、この封建的な家庭において、はっきりと答えが出たようなもので、他の受験校まで軒並み女子校ばかりに…。
そして、受験が終わり、結果を見ると、私は最難関校もトップクラスで入れる成績。これなら余裕で第一志望に行けたのに…。
こうして喜ばしいはずの合格は、私にとって大きな挫折になったのです。
ちなみに、あとから知ったことですが、塾としては、いくつもの上位校に満遍なく合格者を出すため、確実に合格する生徒を振り分けていたのだそうです。
これを機に、私は、祖父の一存で物事を決めるとは如何なることかと、初めて疑問を抱きます。
ところで、受験の頃も、お箏のお稽古は変わらず続けていました。勉強の合間に音楽、特に洋楽を聴くのも楽しんでいたなか、当時は彼女たちにハマっていました。
それでもまだ、自分がこうしたミュージシャンになるとは思いもつかない時期でした。ですが、高校に入ったら、もう勉強などするものか、と決意したのです。
挫折した優等生の反抗でした(笑)。
自分に与えられる経験というのは、自分にとって必要な経験であって、その経験から自分が学ぶべきことがあるから起きるのだ、と思っています。
高校に入学した当時は、家族の希望を汲んで、自分の気持ちに反した進路をとってしまった、などと、なかば人のせいにしたくもなりました。
でも、そうなった、ということは、私が学ぶべきことがそこにあり、その環境が私に必要だったのだと、歳を重ねるほど納得できるようになったのです。
私に必要な経験を与えてくれた家族や塾をはじめとした、多くの人々に、あらためて感謝しています✨
物語は来週につづきます。
ふたたび寒さが厳しくなります。皆様、暖かくしてお過ごしください🥰
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