まだ人生が始まって10年ちょっとのこどもの話ですから、いまのところは順風満帆です(笑)。
きょうはおめでたい節目のお話をさせてください。
物心がついた頃にはすでに、私にはお箏が当たり前のようにありました。
3歳から始めてからというもの、飲み込みが早くて筋が良いと褒められながら(長続きさせる術だったのかもしれません(笑))、何度かお免状を頂くうち、11歳の春、師範名取を襲名しました。

いやいやでも8年続けていたら、ちゃっかり柿が実ったわけです(笑)。
お稽古に行きたくない、お箏をやめたい、と、何度も駄々をこねては家族を困らせたものです。もはや、恒例行事のようなものでした。
ある日、また私が「やめたい」とわがままを言い出したときのこと。いつもは取り合わない父が、「そんなにやめたいならやめていい」と言い出し、はっとしました。
「ここまで続けたのに、ここでやめるなんてもったいない!なんで止めないの⁈」…(笑)
いまとなっては、当時何もわかっていなかったこどもの刹那的なわがままに、家族はよくつきあって、根気よく私に続けさせてくれたものと、感謝しかありません😅
小学6年生になったばかりの春の発表会は、私の襲名披露の舞台ともなり、私が得意だった曲を、私の憧れの山室陽子先生の胡弓と共に演奏しました。
現代はほんとうに素晴らしい時代です。これは私の襲名披露の映像ではありませんが、その先生が弾くまさにその曲がYouTubeにありました。
こどもの頃に覚えたものは、いつまで経っても忘れないもので、この18分ほどの曲、数十年のあいだ弾く機会も思い出す機会もなかったのに、いまでも暗譜で弾けます。
たとえば何か一曲演奏するとき、私は、曲をひとつの旅であるかのようにとらえています。
曲の始まりは旅の始まり、とてもわくわくします。
曲の響きは、私には風景として感じられます。曲が進むと旅路も進み、風景はどんどん変わっていきます。
その日の演奏によって、共演者によって、見たことのない魅力的な風景や、刺激的な風景が見えることもあります。これぞ生演奏の醍醐味です。
曲のエンディングは、旅路の終わり、とてもほっとしますし、どんな旅も壮大だったと満足感を味わうのです。
やめたいやめたいと思っていたお箏のお稽古を、駄々をこねながらも続けていられたのは、思えばこの、旅に出る感覚が楽しかったからです。
偏屈で気難しかった祖父は、孫の私にはやさしく、「鳳のように大きく羽ばたくように」と祈りを込めて、「弘鳳」という立派な名をつけてくれました。
父には「名前負けの予感がする🤣」と度々からかわれたものですが、父の予感は当たり(苦笑)、その後、弘鳳の名が羽ばたくことはなく、こんにちに至ります。
でも、祖父が孫に込めた美しい祈りは、孫の人生において、思いもよらなかった別の形で叶っていくことになります。その話は追ってここで。
人生は実に壮大で、私たちごときが思いつく物語などはるかに上回る、きわめてスケールの大きなものだと思います。
有名無名などまったく関わらず、人間だれもが壮大な物語を生きています。
その物語には、数え切れないほどのたくさんの登場人物がいます。主要人物はもちろん、学校や職場、お教室、ふらりと立ち寄ったお店にも、物語を進めるキーパーソンたちはわんさかいて、通りすがりの人や、会ったことのない人までもが鍵を握っていることがあります。
道をゆく知らない人の、ふとした立ち居振る舞いに、何かを気付かされたり、学ばされたりすることはありませんか。些細なことであっても、充分に自分の物語に影響を及ぼしていると思うのです。
こうしたことが、この世のすべての人たちに起きていると思うと、私たちはみんなしっかりとつながっていると明らかにわかって、見ず知らずの人でもとても愛おしくなります。
私は、通りすがりに赤ちゃんやこどもに出会うたびに、「すくすく大きくなあれ✨」とこっそり祈りを投げかけるのが習慣になっています。
自分が小さかった頃、たくさんの人たちから直接そして間接的に頂いたそうした祈りのおかげで、こうしていまも健やかに過ごせていると実感があるからです。
おからだの辛そうな人を見かけたら、少しでもお健やかにと祈ります。ほんのひとときでも、すっとからだが楽になりますようにと、強く念じたりもします。
祈りには力があります。そして祈った自分も、不思議と元気をもらえます。小さな祈り、ぜひふとしたときに試してみてください。ほんとうにオススメですから!
物語はまた明日へ。きょうは一段と冷え込みます。皆さん、どうぞ暖かくしてお過ごしください。
コメントを残す