私の父は、やはり母同様に明るい人で、土曜日の夜、ドリフが始まるときに私がテレビの前にいないと、慌てて呼びに来たりもしました(笑)。
祖母も両親も明るくておしゃべりなので、にぎやかな家庭ではありましたが、デフォルトが気難しい祖父がいると、家族はみんな腫れ物にさわるように気を遣いながら過ごしたものです。
当時、祖母の弟、私にとって大叔父の家族が、わが家からすぐ近所に住んでいました。
一家には娘さんが2人、つまり父のいとこにあたり、私より10歳ほど年上のお姉さんたち。家族はわが家にしょっちゅう遊びに来てくれました。
「遠くの親戚より近くの他人」と言いますが、私たちには「近くの親戚」、しかもとてもよくしてくれる親戚がいてくれたのです。ありがたいことです。
彼らは、こどもの私を、楽しい場所、おいしいお店、時にはクイズ番組の出演オーディションなど、さまざまな場所に連れて行ってくれました。私には兄弟姉妹はいませんでしたが、おかげでさみしい思いはしませんでした。
ある日、2人のお姉さんたちが、私をコンサートに招待してくれました。ロックバンド編成のコンサートを生で聴いたのは、それが初めてのこと。
バンドのサポートメンバーたちに囲まれるなか、歌うのは杏里さん。テレビアニメ「キャッツ・アイ」の主題歌を歌う有名人に、小学校高学年の私は感激しました。
杏里さんの歌は言わずもがな素晴らしく、生のコンサートの大音量の迫力もあいまって、完全にノックアウトされるなか、はたと気付きました。
杏里さんもすごいけど、バンドの人たちもすごい!
コンサートは終盤になり、サポートメンバーたちがひとりずつソロで紹介されていきました。
ベースの番です。
ブラスバンドで、常に縁の下の力持ちであるものと思い込んでいた低音パートが、低音ひとりだけで見事に見せ場を担う姿に、小学生の私はびっくり。

アンコールでは、他のお客さんたちにつられて、私も客席を離れ、ステージのすぐそばまで行き、杏里さんの目の前で踊りまくりました。
お勉強が大好きなおりこうさんの豹変です🤩
連れて行ってくれたお姉さんたちはとても驚いたようで、帰宅するやいなや、「みわちゃんが踊り狂ってた!」と家族に報告していたのを覚えています(笑)。
おそらくこのときのコンサートが、人生で初めて「ミュージシャン」という存在に出会ったときでした。
私には、生まれる前に自分でこの家族を選んで生まれてきた確信がありますが、実は家族だけでなく、ここには素敵な親戚たちがいるから、この材木屋さんを第一希望にしたんだろうと思っています。(「1.第一希望の家」をご参照ください)
こうして生のコンサートで素敵な経験を得たものの、当時の私はミュージシャンになりたいとも、こどもの頃真似をしていた歌手になりたいとも思いませんでした。
こどもは、育つ環境にきわめて大きく影響されます。
わが家の正義は、一家を仕切る祖父の封建的な考え方のもと、暗黙のうちに定義されていました。女は男に従い、男は女を守る。常に礼儀正しくきちんとする。それは、まっさらなこどもの私にもしっかり染み込んでいました。
気難しさをのぞいて、私こそが祖父にもっとも似ていたのです。
そんな私が当時想像していた未来はこうです。
「大学を出て適齢期(笑)になったら結婚し、自宅でお箏の先生をしながら家庭を守る、良妻賢母になる」
…おお、いま書いていて鳥肌が立ちました…信じられない!!
ではなぜ、こうも大幅な変更を遂げたのか…。
いま思うとその理由は、「学び」にありました。学びは私に、この世界はいかに広いか、いかに様々な人々がいて、いかに様々な生き方があるかを教えてくれました。学ぶ習慣のない娘だったら、何の疑問も抱かずに、想像したとおりの未来を生きていたかもしれません。
学ぶ機会は、男女問わず、貧富の差なく、すべてのこどもたちに、そして意欲ある大人たちに常に与えられるべきものと思います。
皆さんは、こどもの頃に想像した未来と、どのくらい違ういまを生きていますか。
こどもの頃には想像し得なかった、でもいま味わえている素敵なことは、どんなことですか。
ここはぜひ、良いことばかり挙げてみてください。とてもとても幸せな気持ちになれます。
寒さの増すこの時期、心はぽかぽかにお過ごしください💗
物語は明日につづきます。
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