
現在はどうかわかりませんが、昭和の頃の音楽室には、ベートーヴェン、モーツァルト、バッハに瀧廉太郎といった偉大な作曲家たちの肖像画がずらりと飾られていました。
それらには、絵のタッチに経年劣化があいまってオカルト感に満ちた雰囲気から、夜中になると目が動くという噂も、つい信じてしまう怖さがありました😅
そして、これは今でも同じだと思われますが、音楽の授業では、五線譜に書かれた西洋音階をもとに、ピアノの伴奏で歌ったり、合奏をしたりします。
幼少期から音楽に親しんできた私にとって、歌ったり、音楽を奏でたりする行為はごく当たり前のことでしたが、こどもながらに常に疑問がありました。
ここは日本なのに、なぜ日本の音楽を学ばないのだろう…
5年生の頃だったでしょうか、音楽の教科書の後ろのほうに、ようやく和楽器のページを見つけました。と言っても、ほんの申し訳程度。
あるとき、ブラスバンド部の顧問でもある音楽の先生から、「授業でお箏を弾いて、みんなに聴かせてほしい」と頼まれました。
光栄なお役目を喜んで引き受けましたが、たったひとりで人前で弾くのは初めてのこと。
実は当時の私が、お箏を始めてからというもの、家で自主的に練習することはめったにありませんでした。
こどもの頃は幸い、記憶力が良く、お稽古で習ったことは忘れなかったうえ、自分のお稽古の順番を待つ間に聞こえてくる、他の生徒さんの曲まで同時に覚えていたのです。
でも、今回は発表会とちがってたったひとりでの演奏、しかもお箏の魅力を損なわずにちゃんと演奏しなければ、と、その授業の日まで毎日練習。(と言っても確か1週間程度…(笑))
そうして授業では、先生とクラスのみんな、そして壁に飾られた音楽史の偉人たちに見つめられながら、無事にお箏をお聞かせできました。五線譜には書けない、西洋音階では表現できない音楽です。
このとき、とても印象的なことがありました。
いまここにいる人たちの中に、ピアノを弾ける人はいても、お箏を弾けるのは私だけなのだな、と思った瞬間、悟りのようなひらめきを得たのです。
ベートーヴェンやモーツァルト、バッハたちも、彼らがいかに偉大であろうとお箏は弾けないんだ、と。いかに有名で偉大な人にもできないことがあり、それは無名なこどもができることだったりするのだ、と。
このときようやく初めて、お箏を習わせてもらっていたことに、こどもながらも自らはっきりと感謝を感じました。
皆さんにも、それぞれに得意なことがありますよね😍
他の人と優劣を比べる必要も、肩書きになるような立派なことである必要もありません。自分が得意なこと、ちょっと挙げてみてください。
実に些細なことでも、たったひとつしかないとしても、それは宝物です✨
私たちがそれぞれに得意なことを持ち寄って活かし合えるだけで、世界はうんと素敵になるだろうと、いつもいつも感じます。
私のようにでしゃばりな者は、得意なことも目立ちやすいですが(笑)、目立たない場所で発揮されるような、誰にも気づかれないような得意なことがある、そんな慎み深い人の得意技を目にしたら、すかさず褒めてさしあげてください🥰
物語は明日につづきます。
寒さ炸裂の毎日、皆様おからだお大切にお過ごしください!
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