
いまから半世紀ほど前の6月、私はこの世にデビューしました。
いまやずいぶんと遠くなりにけり、昭和の時代です。
私が、自分の人生の一幕目の舞台に選んだのは、千葉の材木屋さんでした。
そこには、私の父、母、祖父、祖母になってくれる人々がいて、当時はまだ結婚前の叔母(父の妹)と共に、5人の素敵な家族がデビューしたての私をあたたかく迎え入れてくれました。
当時の日本は、高度経済成長期、建築業もとても景気の良い時代で、そのおかげもあり、幸せな環境で大事に育ててもらいました。ありがたいことこのうえありません。
それなのに、この娘はミュージシャンになってしまったわけです…。
材木屋さんに生まれた初孫を見て、家族の皆さんはそのとき、どんな期待を持っていたのでしょうか…(微笑)。
思いを馳せると胸が痛みます…(苦笑)。
ところで、生まれる前の記憶、胎内記憶を持つこどもがいるのを、聞いたことはありますか。
私には、はっきりとした記憶はありませんが、物心ついた頃からはっきりとした確信はありました。
この家のこどもになりたい、この父親とこの母親のこどもとしてたっぷり愛されて育ちたいと、自分が強く望んで生まれてきたという確信です。
ですので、そこそこ大きくなった頃、テレビドラマで、「どうして私を産んだの?!」と子供が親にキレる姿を見て、とても驚いたものです。
この考え方は、生きづらい環境に生まれた人々にとっては酷なものですし、人それぞれの捉え方があるべきですから、すべての人に当てはまるとは思いません。
祖父は、とても頑固でとても気難しく、とても封建的で、家庭内には常に緊張感がありました。
たとえば食事の際、うっかりお箸を出し忘れただけで、「食事をするなということか!」と激怒して部屋に籠ってしまうのですから、なかなかのスリルです😅
でも私は、そうしたことも自分で選んだのだと、なぜか納得できていました。
そして、50年以上生きてきた今、やはりこれらの確信はすべて正解だったと思えるのです。
生まれ育った環境は、私がミュージシャンになるために必要なもので、自分が望んだ第一希望のものだったのだ、と。
物語は明日へ続きます✨
皆さんも、ご自分の物語の毎日のページを楽しみにお過ごしください😉
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